kotsulisのレース編み blog

チクチクレース編みの日々。

性欲が無くなって幸せ

俳優のマイケル・ダグラスが、

「歳をとって、性欲が無くなってやっと幸せになった」

とか言ったそうだが、私も同感である。

性欲は生きるパワーや、物を生み出す力にもなるが、同時にセックス依存や、情緒不安定などを引き起こしたりするからだ。

性欲が無くなると、セックスが気持ち悪いと思うようになる。大体、他人と体液を交換するなど、よくよく考えてみれば結構おかしな事なのだ。

 もちろん、若くて性欲に溢れ、バンバンセックスしたい人は存分にやったらよろしい。

 

日常生活の幸せ度が上がると

日常生活という物は、ある一定の安心感を与えてくれる。時にそれが倦怠にもなるのだが、ささやかな幸福感が有ることは否定できない。このささやかな幸福に満足してしまうと、これといった意見も生まれず、blogに書きたいという欲求も減るのである。

もちろん、幸福のお裾分けというか、ささやかな幸福を誰かと共有したい欲求は有るのだが。

 

小説…

統合失調症にかかって辛かったときのことを、小説にしてもいいかもなとは思うが、そんなの読みたいと思う人がいるだろうか?

やっぱり、どうせ読むなら楽しい方が良いと思うのだが。

ただ、統合失調症とはどういうものなのか、よく分からないという人の参考にはなるかもしれない。

 

小説家?

「ライターの仕事をしようかな」

と父に話したら、

「小説を書いたらいい」

と言われる。書いてみたいが、書きたいことがさっぱり思い付かない。ただ、文章を書いたり読んだりするのは好きである。私は本を読むのが好きだったが、父も読書好きだった。子は親に似る。

私は漫画も映画も好きだが、父に言わせると、

「漫画や映画は既に映像化されていて、想像力の入り込む余地が無い。小説なら、例えば『美女』という単語から、読み手が自分の好きなように想像出来る。」

だそうである。言われてみれば確かにそうだ。抽象から想像力を使ってイメージを膨らませる余地が小説には有ると思う。

障害者手帳

私は精神障害2級の手帳を持っている。障害者手帳を持っていると、公共施設などが割安になったりと助かる。

医師の診断が必要だが、もし自分は色々と具合が悪くてどうにも辛い、という方は手帳の申請をおすすめする。

私は最初自分が障害者だとは認めたくなくて渋っていたのだが、いたずらに時間が過ぎただけだった。

障害を持っていても、幸せに暮らす権利は持っているのである。恥ずかしがらずに申請する事だ。

私は自分の障害を認めた事で、気持ちが楽になった。自分一人で悩むのはやめにしたのである。

アメリカのキモさんとビデオ電話🎵

アメリカの板さん、キモさんからビデオ電話が有った。向こうは夜。ショッピングモールで買い物して帰るところらしい。

奥さんと子供さんは日本に帰ってしまって、独り暮らしなので、話し相手が欲しいのかもしれない。

豆腐の話になり、アメリカの豆腐事情を聞いた。向こうでも豆腐は売っているが、余り美味しくないので、冷やっことかにはしないとのこと。アメリカ人は豆腐の味がよくわからないので、豆腐は余り食べないが、健康に良いのは知っているので、豆乳を飲んでいるそうだ。

寿司も、本当の寿司の味はよくわからないので、甘いのとか辛いのとか、変な寿司が流行っているらしい。

日本の寿司、頑張れ👊😆🎵

こういう奴ってどうなのよ

ずいぶん前のこと。仕事の飲み会があり、そこには一時的にバイトしに来た男もいた。女に養ってもらいながら、音楽をやっていたのだが、多分愛想を尽かされて捨てられたので、取り敢えずバイトしに来たのだ。

人柄は、明るくて、周りを盛り上げるタイプである。その日も一人で場を盛り上げていた。

飲み会も終盤に差し掛かると、いきなり

「kotsulis~、モルディブに行こうぜー🎵」

と言ってきた。私は当時(今も)お金がなく、

「だって仕事があるし…」

と断った。すると、彼は途端に怒り出し、

「じゃあ、死んじゃうね!」

と叫んだ。私だって旅行に行きたいが、生活のために働かなくてはならないのである。大体、自分は女に養ってもらっていた身ではないか。今は仕事を見つけるのが先決ではないのか?と、心のなかで呟いた。

こういう、他人の都合を考えずに自分の欲望だけ押し付ける男は大嫌いである。