kotsulisのレース編み blog

チクチクレース編みの日々。

感情が湧かないことの楽さと辛さ

幼少期の私の圧倒的な感情の記憶は、辛さと悲しみだった。大人になってからも、肉体的な辛さと、悲しみだった。

そうこうするうちに、統合失調症と診断された。病気を患ってからか、その前からか、およそ悲しみと怒り以外の感情は無くなっていた。

喜怒哀楽が無くなり、心は平坦な動きしかしなかった。世の中の、感情豊かな人々を眺めては、孤独感を感じて辛くなり、また反面楽でもあった。必要以上に感情にエネルギーを奪われないからである。

ここにいたって、そもそも私の感情などと言うものが、初めから有ったのか?と疑問に思うようになる。他人や小説や映画等で描かれた感情模様を自分に移植していただけなのではないのか?

だが待てよ、犬を飼っていたときは、愛情を注いでいた。確かに自分の感情というものはあった筈なのだ。

それに、ウォーキングに行けば綺麗な風景を楽しむし、美しい写真を見てうっとりしたりもする。ただ、その感情を自閉モードにしていただけなのだ。

感情的に激しい家庭で育ったので、私は人間の激しい感情表現が苦手である。映画などで観る分には大丈夫だが、現実世界で余り暑苦しい感情に晒されると、逃げたくなるのである。だが、感情に乏しいというのも、寂しいものなのだ。彩り豊かな感情を手に入れるには、どうしたら良いのだろうか?